白石挂灯立標吏員退息所の設置
 阿多田島は広島湾への入口にあり、海上交通の重要海域に位置している。日清戦争ころ軍用輸送船の集合場であった宇品港と海軍の鎮守府が置かれた呉軍港は、重要な軍事機能を果たした港であり、また、近海航路や海外航路の寄港地ともなっていた。
 この航路上の阿多田島と大黒神島の中間に位置する白石礁、倉橋島西には西の五番砠が航路の障害ととなっており、これらから船舶を安全な航路に導くため明治34年(1901)に白石挂灯立標、明治35年(1902)に西の五番挂灯立標の建設に着手した。
 
白石挂灯立標は明治36年(1903)4月10日、西の五番挂灯立標は明治37年(1904)3月10日に初点灯した。これらの挂灯立標を保守管理するために阿多田島東端の高台用地を865坪(2860u)購入し、明治36年(1903)3月29日、逓信省航路標識管理所の設計及び監理で白石挂灯立標吏員退息所が建設された。
 以降
白石挂灯立標は白石灯標、安芸白石灯標と改称されているが、白石挂灯立標吏員退息所の改称については明らかでなく、最終的には安芸白石航路標識事務所と呼称されていた。
 昭和17年(1942)3月には阿多田島南西にある姫小島立標が完成しており、ここの保守管理も一緒に行っていた。
 昭和53年(1978)
組織改正で各灯標の保守管理が広島航路標識事務所に移り、安芸白石航路標識事務所は閉鎖された。平成6年(1994)にこの建物は大竹市に譲渡され、改修をして平成8年(1996)に阿多田島灯台資料館としてオープンした。

 
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